発見!能に近づく3つのコツ 新人能楽師インタビュー

ふたばの写真
これから大きく成長する二人です。

発見!能に近づく3つのコツ 新人能楽師インタビュー

能楽に興味はあるけれども敷居が高く、間口が狭いー興味を持っても入口がわからない。

身近に観に行っている人がいない。

教えてくれる人がいない。教えてくれる人が欲しい。

そんなお声をよくいただきます。

でも教えてくれる人がいなくても問題ないんです。

今回のインタビューで私は能に近づく3つのコツを発見しました!

1.「好き」な気持ちを大切にする

2.「自分の文化」を理解する

3.「行動」してみる

この3つです!

今回は、いわゆる「家の子」と呼ばれる能楽の家に生まれた人ではなく、自分の意志で能楽の道を選び能楽師となった、梅若万三郎家の新人お二人、萩原郁也さん(21)と加野鉄音さん(19)にインタビューして、お能との出会いをお話しいただきました。

彼らの親御さんは能に特別詳しかったわけではありません。子供の興味を大切に育てた結果、自分の文化を理解し、チャレンジする行動力をもったお子さんに育ったのでした。

彼らが能の何に惹かれ、どのようにして能の世界の人になったか、

その経緯には、皆様が能にさらに近づくヒントがあふれています。私の見つけた3つのコツ以外に皆様は何を発見されるでしょうか?

萩原郁也(はぎわらふみや)さん 21歳

2002年(平成14年)静岡県森町生まれ。21歳。2021年(令和3年)に梅若万三郎家に入門し、三世梅若万三郎に師事。今年(2023年令和5年)の3月に東京藝術大学音楽学部邦楽科別科を修了。

ー今日は稽古会の後に、インタビューのために、残っていただきありがとうございました。まずは先輩の郁也くんから、幼少期からお能を始め現在に至るまでを自己紹介のような形でお話しいただけますか?

郁也 静岡県森町の出身なんですが、その地元がお祭りが盛んなところで、地元の神社はもう500年近く舞楽が受け継がれているんです。


ーなんという神社ですか

郁也 山名神社といいます。京都の祇園社(八坂神社)と御祭神が一緒でスサノオなんです。

小田原には外郎家(ういろうけ)という室町時代から500年ほど続く静岡県で最古の商家があるんですが、その外郎家の人たちが京都から神奈川に戻ってくる途中で、宿場町だった森町に滞在しました。その際に、宿泊のお礼に京都で習った舞を教えてくれたのです。それが、その神社に残っているという歴史があります。

私はその神社の地区の生まれでしたので、小さい時から祭り好きでした。父も山車に携わって、青年会に入っていました。

僕はどちらかというと奉納されている舞楽の方が好きで、小学校1年生から高校3年生までずっとやっていました。

山名神社で奉納の舞をする萩原郁也さん

ーすごいですね。12年間ですね

郁也 その舞は、能が完成する前の時代の猿楽とか散楽とかの物真似のような感じの舞でした。使われている物も能に近い鬘(かつら)だったり、装束も能装束に近い物でした。

もともと、こうして舞うのが好きだったところに、長谷川晴彦氏(梅若万三郎家門下の能楽師)のワークショップがありまして、何回か参加しているうちに能楽をやってみたいと思うようになりました。

ーそれはおいくつの時ですか?

郁也 小学3年生の時です。それから長谷川先生に月2回今に至るまで習っています。

神社の舞楽も続けていて、全部で八段の役がありまして、段階が上がるごとに難易度が上がるんです。八段をやる子ってなかなかいないんですが、ありがたいことに僕は七段までやらせてもらっています。八段もやろうかなと思ったのですが。すごく特殊な曲で、舞殿の柱によじ登って逆さまになって仰反るという竜の役なんですけれども、とても危険なんです(笑)。

ーそれをご覧になったことはありますか?

郁也 あります。やる人はいるんです。

僕は3人兄弟ですが、すぐ下の弟は五段くらいまで。一番下が三段くらいまでやりました。

ー兄弟全員なさっていたのはすごいですね。七段まで続いたのは郁也くんだけだったと。どの世界も続けていける人はなかなかいないですね。

郁也 うちは高祖父もやっていたらしいです。

ーそんなに代々舞楽をしているお家が森町にはたくさんあるんですか?

郁也 指南役という稽古をつけていく家はあります。能と違って弟子家というのはないので、演じるのは一般の応募で集まってその年だけ。来年はまた全然違うことをやります。

ーそれで毎年できるというのは、なかなかラッキーなことですね。だって抽選じゃないでしょう?あの子じゃなきゃできないよね、ということはあるわけで。

郁也 そんな感じですね。特に子供がやらなきゃいけないので。

さらに大人になると自治会の青年会を出てからでないとその保存会に入れないという、、。僕は東京に出てきて青年会に入っていないので保存会に入れるかどうかわからないですが。

弟たちは辞めてしまい唯一続けられたのは僕なので、能楽を続けながら、地元文化の保存にも貢献したいと思っています。

ー今までのお話をお聞きしたところ、やはりお父様の影響が強いようですね。

郁也 僕は父のやっている山車に興味がないわけじゃないんですが、賑やかなものよりどちらかというと厳かな方が好きなのです。

そういう意味では母がピアノの教師をしていて、生徒さんのコンクールとか発表会とかのしっとり系が好きだったので、母の影響の方が強いのかもしれないです。

ーなるほど、音に惹かれている面もあるのかもしれないですね。

            

加野鉄音(かのてつお)さん 19歳

2004年東京生まれ。3歳より故梅若万佐晴(重要無形文化財保持者総合認定)に師事。2010年増上寺薪能「鶴亀」にて初舞台。2022年4月より東京藝術大学音楽邦楽科能楽専攻(観世流シテ方)入学と同時に梅若研能会に入門、三世梅若万三郎に師事。

ーさて今まで郁也くんのお話を聞いてまいりましたが、鉄音くんに同じ質問をしたいと思います。では、現当主の梅若万三郎の弟、梅若万佐晴に習うに至ったきっかけから、能楽を志すようになるまでどのような経緯だったのですか?

鉄音 もともとNHKでやっていた「日本語であそぼ」という番組が好きだったんです。当時、狂言方の野村萬斎さんが出ていて、、

ーそうですね!「ややこしや」ですね。

鉄音 すごく好きで、「ややこしや」の親子で見よう〇〇ライブ!みたいなのを観に行ったりしました。それを見ていた父が、こいつこういうのが好きなんじゃないか?と最初は狂言のビデオ、その次に三番叟のビデオを見せてくれました。それに「おおお〜!👶」と反応したみたいで。じゃあ、能がいけるかな?と思ったようです。

父は能はやっていなかったのですが、もともと好きだったようです。

ーお二人ともお父様の影響が強いですね!

郁也・鉄音 親の影響強いですねー!

鉄音 僕の父はちょっと独特な趣味で、前衛的なものが好きなんです。

ー抽象化されたものが好きな人って、能は好きですよね。具象的なものよりね。

鉄音 それでやっぱり歌舞伎より、能の方がちょっと前衛的に感じて父はそういうところに惹かれていたんだと思います。

そうこうしているうちに、幼稚園に入った頃、僕の幼馴染の通っている幼稚園に梅若万佐晴先生のお孫さんである梅若千音世さん(彼女も新人能楽師です。万三郎家で頑張っています。)がいたんです。

そこで幼馴染の親御さんが僕の話をしてくれたらしくて、ちょっと来てみる?ということになりました。それで、下北沢の万佐晴先生の舞台に伺い能面など見せていただいたんですが、3歳くらいですけれども、能面などもDVDなどで知っているものがあって、かなりテンション上がっていたそうです。

それでお稽古を始めたのは4歳からです。

ースタートはうちの子達とあまり変わらないんですね!

鉄音 万佐晴先生主催の増上寺の薪能で一度だけ、子方も勤めています。

国立能楽堂の楽屋の長い廊下で先生方にご挨拶

千音世さんと一緒に『鶴亀』の亀をさせていただきました。

可愛い亀ですね!これは増上寺です。

ー私その舞台拝見したと思いますね。何度も舞台にもいらしてますよね?私がご挨拶に立っている時にお見かけしてるはずはずですね。今はちょっと成長しすぎててわからないけれど。郁也くんも舞台を観に来てましたか?

郁也 僕は舞台までは見に来ていないです。

ーやはり子供のうちは自分で来ることができないですもんね。静岡でちょっと遠いですしね。鉄音くんは、順調に成長して、でもお稽古を続けているだけで、能楽師に!とはならないですよね?

鉄音 反抗期というか思春期という時期はありました。そんなに能大好き!みたいな感じじゃない時期もあり、おさらい会でも今日はなんの曲をやるんだっけ?というような日もありました。

そうこうしているうちに、コロナ禍に入りまして、そこで別の能楽師の方のZOOMの企画で世阿弥の『風姿花伝』を読んで解説してくれるというのがありました。

それが本当に面白くて、すごい、こんなに奥深いんだ!と感動して、久しぶりに能のDVDを引っ張り出して見たら、うわー良い!となりました。

そこで、父がもし職業にしたいんだったら、藝大に行くのも一つの手だよ、と言ってくれて。

行きたい気持ちになり、コロナ禍だったんですが万佐晴先生のお宅に伺いました。そこで藝大に入りたいです、とお伝えし、それから本格的な稽古が始まりました。

ーいやーありがたいですね。能楽師の世界に限らず、少子化で後継者不足なのに、うちは本当に恵まれています。

郁也 地元の舞楽の指南役もお子さんがいないんです。でも誰か教えていきますし、うちの地区は奇跡的に少子化を免れている地区なんです。続いていくと思いますし、僕も関わっていくつもりでいます。

ー郁也くんは地元をとても大切にしていますね。鉄音くんはその辺はどうですか?

鉄音 僕は東京の出身なのですが、祖父母がバリバリのサラリーマンで日本にいなかったので、母もアメリカなどの帰国子女なんです。地元がないと言えばない。強いていうなら、叔父が北海道にいるし、叔母はタイで仕事しているので、日本文化を伝える場所はあると思っています。

ーバリバリのサラリーマンとは(商社?)!世界を飛び回っていたんですね!人脈もありそうですね。海外でも観たいと仰る方はたくさんいらっしゃいますよね。外国の方はもちろん、日本の方でも異文化が身近にあればあるほど、自分の原点である日本の価値観、考え方、背景を理解する必要が出てきますもんね。

お二人から皆様へのメッセージ

さて、今回のインタビューは、能は敷居が高いと思っている方への能に近づくコツ探しというテーマがあります。

お二人から、特にお伝えしたいことはありますか?

郁也 先輩から、能楽師は職人であって俳優じゃないんだよ、と言われたことがありました。自分の顔の表情で表現するところを、面をかけて心で感情表現しなきゃいけない。自分が演じるんじゃなくて役を自分の中に入れて表現するっていうのが能の良さだと思います。

それをもっと勉強して深めていきたい。皆様にも知っていきただきたいです。

鉄音 覚えもので謡本をたくさん読むんですが、しみじみと日本語の良さを活かした芸能なんだなあと思います。謡の詞章をみると一つの山を表現するのでもすごく細かく描き出していると思います。日本の美しい情景をどんな小説より細かく描いていると思います。

そういうところに注目して聞いていただいたり、その表現に絡めた装束や作り物(小道具)相手の動きなどに注目していただけると楽しめるかなと思いました。

ー今日はとても良いお話を伺うことができました。お時間をいただきありがとうございました。

インタビュー後記

郁也くんも鉄音くんも、知識を得るより前に能に親しんで楽しんでいたのが印象的でした。

1.「好き」な気持ちを大切にする

2.「自分の文化」を理解する

3.「行動」してみる

こんな気持ちで日本の原風景にゆるく近づいてみていただきたいなあと思う次第です。

ちなみに鉄音くんが日本語に感動しながら読んでいる謡本は、ほとんどの能楽堂のロビーに出店している檜(ひのき)書店さんで販売しています。

当日の演目は平置きになっているはずですので、公演前にお求めになるとより楽しめるかもしれません。

皆様にお目にかかれますのを楽しみにしております。

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