能「熊坂」 悪人こそ救われる?

能「熊坂」 悪人こそ救われる?

能「熊坂」に出てくる熊坂長範は伝説の盗賊です。

源義経がまだ牛若丸だった頃、

盗賊に襲われ、それらを討ち殺したという物語が古くから言い伝えられています。

能「熊坂」は作者不明ですが、その物語を元に作られています。

とは言っても、義経役の能楽師はこの能には登場しません。←能にはよくあること☺️!

義経の登場する能は10曲以上あります。八島、正尊、忠信、摂待、船弁慶、安宅、橋弁慶、吉野静、二人静、など、熱い義経ファンはそちらも制覇してみてはいかがでしょう?)

さて今日は熊坂です。話を「熊坂」に戻しますね。

残っている「熊坂」演能記録で最古のものは、

永正11年(1514年)10月の南都(奈良)雨喜能💧(日照り続きの後の降雨の祝いの能)のものです。

能「熊坂」のあらすじ

ある日、京の都から東国へ旅に出た僧が、琵琶湖の近江路を行き、

瀬田の橋(日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い橋)を過ぎ

美濃国(現在の岐阜県)の赤坂で一人の僧に呼び止められます。

「今日はある者の命日です。

どうぞ回向(えこう:功徳や善行を相手に振り向けて与えること)をして欲しいのです。」

「そのある者の名前は言えませんが、

この世の生きているものは全て、

草も木も国土まで漏れなく仏の慈悲を受けており←この草木国土(そうもくこくど)という言葉は能の頻出単語!🤓

回向していただければ全て成仏するのですから

名指して回向しなくても成仏しないはずはありません」と言いました。

そして都の僧を自分の庵に案内するのでした。

その庵の中には安置されているはずの仏絵も仏像もなく

武具が並べ立ててあります。

どうしたことでしょうかと尋ねると、この辺りは盗賊が出るので、

それを払うために揃えているのです、と答えます。

この僧は熊坂長範の霊(前シテ)

ーーーーーー都の僧はまだ気づいていませんが、

この僧は熊坂長範の霊なのです。

前世の行いのために苦しむ霊です。

その霊が語ります。ーーーーーーーーーー

も全ての生き物を救うために念仏📜を煩悩を断ち切る剣🗡とし、

愛染明王は妄念を射る弓🏹を持ち、

毘沙門天は鉾🛡を持って悪魔を降伏させ災難を払います。

執着や恩愛からくる慈悲心は、仏道の障害であり

提婆達多(ダイバダッタ)の五逆(父母や聖者を殺す罪)より勝り、

方便の殺生(仏が生き物全てを救うためにする殺生)の方が

菩薩の六度の修行より勝る、と聞きます。

迷うも悟るも心なので、

心の師となり心を師としてはいけない、という古い言葉もあります。」

ーーーーーーーーーー熊坂の霊は悩み苦しんでいます。

前世の行いのため誰も弔ってくれない苦しみ。

前世の行い(殺生)を必死で正当化しているようでもあり。。。

悔い改めて人のためになろうとしていると言っているようでもあり。。。

堂々巡りをしているようにも聞こえます。

悩みに悩み、苦しみ抜いて霊となり、

自ら盗賊を退治すると武具を揃える熊坂の霊の苦しい心のうちを思うと

健気にも見えてきます。

自分が悪いとわかっている時、人は苦しむのだと思います。

ーーーーーーーーーー

こんな話をしていては夜が明けてしまうと

僧は寝室に入るように見えましたが

姿が消え、庵も消えてしまい

都の僧は松陰で夜を明かしたのでした。

この辺りに住む者(狂言方)登場

この辺りに住む者が現れ、都の僧はこの土地の者に

この辺りで悪行をして死に果てた者を知らないか、と尋ねます。

その者は

「熊坂長範のことに違いない。

若い時は正直者だったが盗みを覚え、子分を率いて悪行をするようになった。

ある日、吉次信高が金品財宝を持って奥羽へ向かうのを知り

夜討ちをかけた。

そこに牛若丸がいて小太刀で長範を斬り殺したのだ。」

と語り、なぜそんなことをお尋ねになる?と不思議がりました。

都の僧は、消え失せた僧のことを話し、

しばらく逗留し、お経を上げて弔うことにしました。

熊坂の霊(後シテ)が生前の姿で登場

2001年12月16日 梅若万三郎 於 観世能楽堂 協力:前島写真店

有明の月が出ても

嵐が激しく朧月夜。

これを幸いと

切り入れ、攻めよと子分に命令し、

人の財宝を奪った、その悪逆。

執着が死後もこの世に残っている、あさましいこの姿をご覧ください。

都の僧が熊坂長範かと尋ね、そうだと答えます。

「熊坂の長範にてましますかその時の有様、御物語り候へ

ーーーーーー能に出てくる旅の僧は弔って成仏させる前に

決まって命を失った時の有様を再現するように言います。

それが成仏の条件であるように。

成仏って死に直すことなんでしょうか。

確かに人にもう一度自分の物語を語り直すことで

治癒したようになることは生きている私たちにもありますね。ーーーーーーーーーー

熊坂は語り始めます。

吉次信高が宝を集め、奥州へ下る。

これを取ってやろうと人数を集めた。

河内の覚紹、磨針太郎兄弟は正面から攻め入るのに優れていた。

都から来た三條の衛門、壬生の小猿は松明の投げ入れや一騎打ちが上手だった。

越前の者では麻生の松若、三国の九郎、

加賀の国からはこの熊坂長範を始めとして

強者70人が力を合わせ、

吉次の通る道に野にも山にも見張りをつけた。

赤坂の宿に着き、ここが攻め入るのに最も最適な場所だとわかった。

宿の様子を探らせると、

宵のうちから遊女を呼んで色んな遊びをしている。

夜も更けていくと吉次兄弟らはすっかり寝てしまったが

16、7歳の少年が目を光らせ、障子の隙間のちょっとした音にも気を配って

全く寝ないでいた。

この少年が牛若丸だと気付かなかったことが

盗人達の運の尽きだった。

今だ。入れ。

皆、我先にと松明を投げ込み投げ込み、乱れ入った。

牛若は少しも恐れる様子がなく小太刀を抜き、

獅子奮迅虎乱入飛鳥の翔り(どれも拾葉集にある兵法)など

秘術を繰り出し戦ったので正面を進んだ13人は一度に斬り伏せられた。

この者どもをこんなふうに討つとは

よもや人間ではあるまい。

盗みも命あってこそだ、と引きかける。

だが、おれは思った。

その少年が切ると言っても知れたものだ。

この熊坂が秘術を奮って戦えばどんな天魔鬼神でも

宙につかんで微塵にしてやる。

討たれた者達の供養にしてやろう。

そして引き返し、長刀を引き、折戸を盾にして少年を狙った。

牛若はこれを見て太刀を抜いた。

互いに相手が打ち込むのを待っていたが

おれが長刀を突くと牛若ははっしと打って左手へ越す。

追いかけてすかさず打ち込むと牛若はひらりと乗り込む。

構え直し、切り返し、切り払うと飛び上がり

姿が見えない。

思いもよらぬ後ろから、鎧の隙を切られた。

あのような少年に切られるとは。無念なことであった。

太刀わざでは叶わない。

手で取ってやろうと長刀を投げ捨て、

大手を広げてここの廊下の隅に追いかけ回し、捕まえようとしたが

陽炎か稲妻か、水に映る月の影のようで

姿は見えても手に取ることができない。

だんだんに重い傷が響き、

強い心も力も弱り、この松の木の根元で死んでしまったのだ。

ーーーーー

これは昔語りに時を過ごしました。どうぞ弔ってやってください。

と熊坂がいう間にゆふつけ(鶏の別名)の鳴き声がして

夜も白々と明け、亡霊は赤坂の松陰に隠れて行きました。

悪人の成仏

親鸞上人の「歎異抄」の中に「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という言葉があります。

「善人は救われる。悪人ならなおさら救われる。」

全く納得いかないという人もいますが、私は、

「悪人こそ救われる」の意味とは、

善人は苦しまなくて済み、悪人は苦しんでいる分、救われる多寡が大きいんだ、と

勝手に解釈していました。

それか、育った環境が違えば悪人にならずにすんだとか?悪人はならざるを得ずなっているとするなら、救われるべきは悪人であるとか。。

(事あるごとにこの言葉の真意を知りたいと調べていますが、これだと膝を打つような説に出会えていません。)

能「熊坂」で思い出したのがこの言葉でした。

熊坂は殺された後、自分なりに自分の生きた道の意味づけをしているように見えます。

悔いて改めて人のためになろうとしています。

前世の罪は重過ぎて、自分の力ではどうにもならず

そんな時にお経をあげてもらって苦しみから解放してもらいたいのでしょう。

誰かのために祈る事でそれが相手の力になると確信されていた時代のお話です。

今の時代でも、確信はなくてもできること(祈り)はしてあげればいいと

ゆるくそう思っていますよね。

いつの間にか伝統の影響を受けているものですね。

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