双子ちゃんって、
同じ見目形が二つあってデザインが強くてとても好きです。
能『二人静』では同じ姿の二人がシンクロして舞を舞います。
義経の愛妾だった静御前の霊と、その静御前の霊が憑依した菜摘女が
同じ舞台の上で舞うという演出です。
どういうこと?!!って思いますよね。
つまりどちらも静御前なんです。
面白い演出を考えますよね。
確かに霊は一人に憑いたら、もう他に存在できない決まりなんて無い。
憑依された菜摘女の向こうに静御前の姿が透けて見える、それを表現したのかもしれません。
つい熱く語ってしまいました。
オダマキという花があります。
昔、機織りに使う糸巻きをオダマキ(緒環、苧環)と言いました。
糸が巻かれていないオダマキに似ているので、この花がオダマキと呼ばれるようになったそうです。
静御前が義経と別れを余儀なくされ、
鎌倉の頼朝の前に連れて行かれた時、義経の敵であり、時の最高権力者である頼朝に
舞を舞うように命じられます。
その時に、静御前が詠んだ歌
「しづやしづ しづのおだまき 繰り返し 昔を今にするよしもがな」
静や静やと呼んでくれた 麻糸の糸巻きを繰るように 昔に戻りたい
この時のおだまきという言葉は繰り返しの枕詞です。
「しづ」には賤:身分の低い者の身につける布(麻布)、また身分の低い者(静御前は白拍子という舞女で身分が低かった)、そして静御前の名前の三つの意味がかけられています。
義経との別れに苦しみ、その悲しみを頼朝の前で恐れもせず表す静御前。
強い人だったのでしょう。
静御前は義経の子を孕っていました。
生まれてきた子は男の子だったため、頼朝の命で由比ヶ浜に沈められたといいます。
何度でも繰り返し舞台に登場して、現世の人間に、回向(えこう:お経を読んだり写経したり、偲んだりすることで、徳を手向けて成仏を願うこと)を、してほしいの願うのも無理はありません。
能に限らず、舞台は供養の場であることが多いのだと思います。
コメント