連続して小町物で行こうと思います。
和歌
「花の色はうつりにけりな いたづらに
我が身よにふる ながめせしまに」
の作者として、
また世界三大美女として、有名な小野小町。
能の世界にも小野小町はたくさん登場します。
日本人の思う美は、刹那、儚さの中にあります。
才色兼備の若さから、その老いの姿まで描かれる小野小町。
創作者を刺激する存在だったに違いありません。
「小町もの」と呼ばれる小町を取り扱った演目が
能にも7つほど演目があり、現在も5つは演じられています。
今日は卒塔婆小町の続編とも言える通小町(かよいこまち)です。
比叡山の麓で僧が夏(げ)の期間、一か所に90日間、籠って修行する夏籠もりの修行をしていた。
その僧に毎日、木の実や薪を届けてくれる女性がいた。
名を尋ねても答えず、ただ亡き跡を弔って欲しいと言い残し姿を消してしまった。
そこで僧は小町髑髏伝説を思い出す。
小町は若い頃、その美しさに栄華を誇っていたが、身内の不幸がつづき、晩年は野を彷徨う身の上となった。
小町の死後、野晒しの髑髏の目を貫いてススキが生え、風が吹くたびに「あなめあなめ」と痛がるという話である。
僧はきっとあの女性は小町であるに違いないと気づき、野に出向き供養する。
弔いを喜んだ小町の霊が出てきて、仏の弟子にして欲しいと言う。
そこへそれを阻止しようとする者の声が聞こえてくる。
小町の元へ百夜通い(ももよがよい)したという深草の少将の霊が現れる。
小町を執拗に引き留め成仏させまいとする。
その苦しみに二人とも涙に暮れている。
僧は二人の苦しみの元となった出来事を見せて欲しいと頼む。
深草少将の百夜通いの様子を小町と少将は再現する。
熱心に求愛する深草少将に、小町は諦めてもらおうと、百夜続けて通えば百夜目に逢おうと言った。
小町が、牛車が目立つので恥ずかしいと言うので、笠に蓑の出立で、馬にも乗らず通い続けた。
百夜目には、美しい衣装に着替え、風折烏帽子を身につけて、いざ小町の元へと向かった(しかし、実際には不幸があり叶わなかったのだ。)
少将は、その百夜目の、小町の元へ向かう途中を再現し、小町のところで月のように美しい盃で酒を勧められるかもしれないが、仏の戒めを守り断ろう、とふと思った。
その時、その一念の悟りで多くの罪が消え去り、二人は成仏したのであった。
。。。
一気に最後まであらすじを書きました。
二つの小町の伝説
「小町髑髏伝説」と「深草少将の百夜通い」の説話を合わせた内容になっています。
最後が能だなあと思うんです。
あっけない成仏。
なぜこんな風にあっけなく終わるんだろうと思いますよね。
実際、『謡曲大観』の第二巻、763ページにも恐らく脱文があるのだろうとしています。
文脈が続かない、と。
小町は誰にもなびかなかった、と言われています。現代だったら、それはきっと他にも理由があるのでは、と思ったりしますよね。
深草少将も懸命に一途に生きた。それぞれの理由を持って懸命に生きたのなら、成仏できないはずはないと思います。
不幸にもお互いを苦しめる運命でしたが、それほど心を動かされる相手に出会えたとも言えます。
能は最後には誰もが浮かばれるように物語が運ばれます。
癒される効果があるとすれば、(意味が分からなくて眠くなるのもありますが)能楽師の胸に響く声、静謐な能楽の舞台、そしてやはりそのストーリーにも理由があるのだろうと思います。
追記。
私のロシア人の友人が、僧の修行にヒントがあると。
夏(げ)の期間と百夜通いを重ね、解夏(げげ)の瞬間に小町と少将は成仏できたのだろうと読み解きました。
そう言われると、もうそのようにしか思えないほど、腑に落ちました。
観阿弥、世阿弥ほどの天才がなんの伏線でもなく夏(げ)の期間を選ぶわけがない。
そして、すすきの物悲しい景色へと繋がっていく。。
こうして言葉にしてしまうと美しさが減るけれど、さすがとしか言いようがありません。
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