時代劇の中の結婚式の場面で「高砂や〜」と謡われるのを
ご覧になったことはありますか?
実はあれは能『高砂』の一節です。
作者は世阿弥。
中世、室町時代に、能を現在の形に完成させた能の役者です。
2022年初めてのブログは
おめでたい能『高砂』のストーリーをお伝えすることにします。
【前半】
播磨国(現在の兵庫県の南西部)の高砂に、
肥後(現在の熊本県)の阿蘇の神主、友成が登場します。
友成は、従者を連れて初めて都へと旅をしている途中で、
播磨の高砂も見物したいと立ち寄りました。
そこへ
翁(お爺さん)と姥(お婆さん)が現れます。
高砂の松に春風が吹き。。と歌(古今集、藤原興風の和歌)を引いて
老境の寂しさを語りながら、
翁は松葉を掃き清め始めます。
友成が高砂の松はどれかと尋ねると
今掃き清めている松がそうだと言います。
また友成が、
播磨国の高砂の松と
摂津国(現在の大阪府)の住吉の松は
国が離れているのに「相生(あいおい:共に生きる)の松」と言われるのは
どういうわけか、と尋ねました。
翁は、自分は住吉の者で、
姥は、この地高砂の者であると答えます。
友成は、夫婦でありながら遠く海山を隔てて住むのは
どういうことなのか、と重ねて尋ねます。
高砂、住吉の松は心の無い植物でありながら、
相生(共に生きる)と言われます。
ましてや、人として生まれ、長年通い慣れた私たちは
松と同じく、相生になったのです、と答えます。
ーーーーここで地謡(じうたい:コーラス)が
天下安穏で和歌を詠める時代に生きる幸せを謡い、
春夏秋冬、毎年同じ時に花を咲かせる草花、
千年も常緑の松のめでたさを讃えます。ーーーーー
友成に素性を問われ、
老夫婦は、高砂住吉の松の精であると明かしました。
不思議がる友成に、翁はあちらで待っていると言い残し、
住吉の方向へ、舟に乗って出て行きました。
ーーーーーーここで一度幕の中に入ります。ーーーーー
【後半】
友成は、従者が連れてきた浦人(地元の人)から
再び高砂の松の物語を聞きます。
友成が、たった今、起こったことを浦人に話すと
高砂、住吉、両神社の神の化身と言葉を交わしたと驚き
友成を住吉まで舟に乗せて行こうと言います。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて。この浦舟に帆を上げて。
月もろともに出汐の。波の淡路の島影や。
遠く鳴尾の沖過ぎてはや住の江に、着きにけり。」
友成と従者が着いたところで、
住吉明神が現れ、神舞を舞います。
住吉明神が舞ったあとは、松風が吹き渡ったよう、
その風音は雅楽「千秋楽」や「万歳楽(ばんざいらく)」のようだと
友成は感激しました。
いかがでしたか?
寂しくなるほど老いた夫婦が
離れていても心を通じ合わせている
その二本の松の姿と
それが続く平和を讃えた清々しい曲です。
新年にふさわしい曲ですね。
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