伝統の守り手から革新者へ:梅若志長が描く能楽の未来像
梅若紀佳に続き、今回は梅若志長のインタビュー記事です。
丁寧な芸風で魅せる若手能楽師
志長も3歳で初舞台を踏み、高校までは学習院。そこから東京藝術大学へと進んだ彼は、「丁寧な芸風」という定評を得ている若手能楽師です。先週、4つ違いの姉の紀佳にもインタビューしましたが、アプローチの異なる二人の対比が、現代能楽の多様な可能性を示唆しているように感じました。
「体験」を重視する独自の教育観
志長の教育アプローチは徹底的に実践的です。特に印象的だったのは、ドイツから能のお稽古にいらした方の話。合計20回ほど稽古があり、毎回10分間の「運び」(すり足)の練習から始めたそうです。ドイツから来た彼は、その過程で研ぎ澄まされていく感覚を覚え、能楽師の精神性が自然と身についていったと語っていたそうです。「説明より体験」という彼の信念は、母校・学習院高等科での指導でも貫かれています。また地方のワークショップでの子供達が小鼓を打って「手が痛かった」と感想を残したそうですが、そういった体験的記憶が、体験した人に強く印象として残り、将来どこかで能楽との再会を導くきっかけになると信じているのです。
世界への挑戦:「わかりづらさ」の価値
海外公演での体験は、志長さんの能楽観を大きく広げました。ウズベキスタンでの公演では、詳しい解説を最小限に抑え、代わりに空気感や雰囲気を直接感じてもらうことに注力。「理解よりも印象」を重視するこのアプローチは、現代美術の世界でも評価される「わかりづらさの持つ芸術性」と通じるものがあります。さらに、ギリシャ悲劇との融合にも強い関心を示し、いつか演じてみたいと考えているとのこと。異文化との新しい対話の可能性を探っています。
デジタル時代の新たな挑戦
コロナ禍での経験は、能楽とデジタルの関係を再定義する契機となりました。しかし志長は、オンラインでは伝えきれない「一期一会の緊張感」や「呼吸」の大切さを強調します。デジタル技術は「入り口」として重要ですが、それは究極的には生の舞台への導入路であるべきだと考えています。
能面が語る文化交流の歴史
能面については興味深い視点を示してくれました。室町時代、貿易を通じて様々な文化が流入した時代に作られた能面には、鷲鼻など日本人離れした特徴を持つものも存在します。能面は単なる伝統工芸品ではなく、700年前の国際交流を今に伝える「生きた歴史」なのです。
危機感と展望:世代交代期の課題
梅若研能会は重要な転換期を迎えています。「万三郎から紀長」「万佐晴から泰志」という世代交代を例に挙げながら、志長は現状への危機感を率直に語ります。ベテラン能楽師たちの引退が進む中、これからの10年が能楽の質を左右する重要な期間になると指摘。次世代を担う50代、60代の能楽師たちには、伝統の継承と革新のバランスが求められています。志長は我々若手が中枢となる能楽師達を押し上げ下支えする姿勢が大切だと語っています。
持続可能な能楽界への提言
志長が描く未来像は、芸術性と経済的基盤のバランスが取れた持続可能な能楽界です。彼特有の表現である「波のない」安定した活動を実現するため、若手の時から舞台以外の活動にも積極的に関わることを提唱しています。この実務的な視点は、芸術家としての理想と現実の調和を図る彼の姿勢をよく表しています。
新時代の能楽師像
インタビューを通じて、志長の中に「守り手」と「革新者」という二つの顔が共存していることを強く感じました。丁寧な芸風で伝統を守りながら、新しい時代の可能性を探る。その姿勢は、まさに現代の能楽師の姿を示しているのではないでしょうか。能楽の未来は、このような柔軟な発想を持つ若手たちの手に委ねられています。
(取材・文:2024年12月22日)
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