能を知ろうワークショップ 発表会を終えて
二〇二六年六月六日、能を知ろうワークショップの発表会が、無事に幕を閉じました。
寒さの残る季節に始まり、汗ばむ初夏まで続いた稽古の日々。その締めくくりとして、ご参加の皆さんがこの日、能舞台に立ってくださいました。お運びくださった皆さま、そしてこの数か月をともに歩んでくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。
発表会のあと、おひとりおひとりからいただいた感想を、ここに記しておきたいと思います。
——舞い終えた人たちの声
舞台の上でひとさし舞い終えたあと、人の顔つきは、すこしだけ変わります。
能を知ろうワークショップは、発表会の日をもって、ひと区切りを迎えました。梅若家の能舞台で、梅若紀佳と梅若志長を講師に、回を重ねて謡(うたい)と仕舞(しまい)を稽古してきた皆さんが、この日、それぞれの演目を舞台にのせました。
寒い時期に始まった稽古が、いつのまにか汗ばむ季節になっていた——そう振り返る方もいました。季節がひとつ移るあいだ、皆さんは能という世界の入り口に、すこしずつ足を踏み入れていったのだと思います。
会の終わりに、おひとりおひとりから感想をいただきました。その言葉を、ここに残しておきたいと思います。
入り口は、それぞれに
能との出会いかたは、ほんとうに人それぞれでした。
年の初めの公演を、とてもいい席で観たのがきっかけだったという方。人形町の駅でたまたまワークショップのチラシを見かけ、ちょうど予定が空いていたから、という方。Facebookでふと流れてきた募集に、あまり考えずに申し込んでしまった、という方もいました。
友人に誘われて、という声も多く聞かれました。台湾から来られたある方は、以前から日本文化に関心はあったものの、能はストーリーを追うだけでも難しく、なかなか足を運ぶ勇気が出なかったといいます。それが、友人の誘いと「せっかく日本にいるのだから」という思いに背中を押されて、はじめての一歩を踏み出してくださいました。
四十年ほど前に謡を習っていたという方もいれば、ふだんは社会人劇団で表現に親しんでいて、何か持ち帰るものはないかという軽い気持ちで申し込んだ、という方も。源氏物語が好きで、なかでも夕顔の登場する物語に惹かれていたから、半蔀(はじとみ)の稽古は受けないわけにはいかなかった——そんな方もいらっしゃいました。
きっかけはばらばらでも、皆さんはこの舞台の上で、同じ時間を過ごしました。
「もう一回」が、止まらない
稽古を重ねるうちに、何度繰り返しても飽きない、という声がいくつもあがりました。
家でひとり練習しているときも、「もう一回、もう一回」と繰り返してしまう。まるで小さな子どもが、同じ絵本を「もう一回読んで」とせがむように。今日も、もう一回見たい、次も見たい、もっと見たい——そんなふうに、稽古が自分のなかで止まらなくなっていったと、ある方は話してくださいました。
ひとりずつ順番に舞う時間に、ほかの方の動きをじっと見ていたという方もいました。同じ型を舞っているはずなのに、その人らしさが自然と滲み出てくる。それが思いがけず面白かったのだと。型があるからこそ、かえって人が見えてくる。それは予想していなかった発見だったようです。
舞台に立つ、ということ
ふだんは観るものだった能舞台に、自分が立つ。その経験は、多くの方の心に深く残ったようです。
この舞台で声を出すと、響きかたがまるで違う。それだけで動揺してしまうほど緊張した、と社会人劇団の方は語りました。家で謡うと壁にぶつかってしまうけれど、この舞台の空間のなかで謡うのはとても楽しい——久しぶりに謡に触れた方は、そう改めて感じたといいます。
何十年ぶりに胸がバクバクした、という方もいました。発表会という締めくくりがあったからこそ、そこへ向かって頑張ろうという気持ちが生まれた。その緊張が、いい刺激になったのだと。
舞台に立たせていただいて、自分が生まれ変わったような気持ちになった——そんな言葉も聞かれました。
型を超えて、残るもの
稽古のなかで、型をなぞるだけではない何かに気づいた、という声もありました。
型のとおりでなくても、観る人を感動させる人がいる。それはいったい何なのだろう。うまく言葉にできないまま、その不思議さに惹きつけられていったと、ある方は話します。
力を抜いて、ただぼんやりと舞っていると、かえって心が落ち着いてくる。自分自身と向き合う時間になる。そんな思いがけない発見もあったようです。
効率や成果を急ぐ日々のなかで、ひとつのことをどこまでも突き詰めていく時間の豊かさ。それがかえって新鮮だった、という声も印象的でした。
ある方は、なりきって舞おうと意気込んでいたのに、思わぬところで間違えて、最後は「ただのおじいさん」になってしまった、と笑っていました。うまくいったことも、いかなかったことも、すべてがこの数か月の、かけがえのない時間です。
「能は世界に突出した芸術だと思う」「改めて先生方のファンになりました」——そう言ってくださる声に、私たちのほうこそ励まされました。八十歳を過ぎての手習いを、これからも少しずつ続けたいという方。仕舞もどこかで続けていきたいという方。日本の文化を、もっと知っていきたいという方。
入り口に立ったばかりの皆さんが、その先へと歩いていかれることを、心から願っています。
舞い終えたあとの、すこし変わったあの表情こそ、この会のいちばんの実りだったのかもしれません。
同じ演目を、舞台で観る
さて、稽古はひと区切りを迎えましたが、能との時間はこれからも続いてまいります。
七月五日の観世会では、梅若紀長が「半蔀(はじとみ)」を勤めます。皆さんがこの数か月、自らの身体で稽古してきたあの演目を、今度は舞台の上で、本物の一曲としてご覧いただける機会です。お楽屋には梅若紀佳と梅若志長が働きで入り、舞台を支えます。そしてスタッフの志歩も、皆さんと同じ客席で、ともに観能する予定です。
終演後には、皆さんと一緒に感想を語り合えるような、ちょっとした語らいの場を設けたいと考えています。同じ演目を稽古した仲間として、舞台で何を感じたか、思い思いに言葉を交わせたら——そんな時間を、いまからとても楽しみにしています。
そして次のワークショップでも、また何か新しいことに挑戦できるよう、あれこれと考えをめぐらせているところです。
皆さま、ぜひご参加ください。

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