2026能を知ろうワークショップ 第2回レポート

―「半蔀(はじとみ)」の世界へ 梅若志長とともに―
3月15日、梅若家の能舞台にて、連続ワークショップ「能を知ろうワークショップ」の第2回を開催いたしました。今回は梅若志長を講師に迎え、初めてご参加の方も、前回に引き続きお越しの方も入り混じる中、実際の能舞台に足を踏み入れながら、能楽の精神と技法を存分に体験する時間となりました。
舞台が語る、80年の鍛錬
冒頭、志長はまずこの舞台そのものについて語りました。梅若万三郎家が所有するこの能舞台は、建築されて約80年。かつては高輪に建てられていたものが戦火で焼失し、現在地にあらためて建てられたものです。志長自身も2歳半からここでお稽古を始め、祖父・梅若万三郎(三世)の元で育ちました。3歳で初舞台を踏み、子方の時代を経て、東京藝術大学で専門的に研鑽を積んだ彼にとって、この舞台は文字通りの原点です。舞台の床をよく見ると、長年にわたる稽古の汗が染み込んだ跡があります。「80年分の歴史がここに詰まっています」という言葉が、場の空気を引き締めました。
舞台奥に描かれた松の絵は「鏡板(かがみいた)」と呼ばれ、神聖な松の木を鏡に映したものという意味を持ちます。私たち能楽師は松の向こうにいる神様に向かって奉納をするという精神で舞台に立っている、と志長は語りました。橋掛り(はしがかり)から本舞台へ続く通路は、現実世界から舞台という異界へと踏み込む境界線。舞台装置はほとんどなく、木の枠だけでできた「作り物」が置かれる程度です。「背景は変わらない。その中で皆さんの想像力が物語を完成させてくれる」――これが能楽の本質である、と参加者は舞台の上に立ちながら体感していきました。
能楽の分業制と役割
続いて、能楽がどのように成り立っているかの解説がありました。能舞台では、まず囃子方(はやし方)が橋掛りから入場し、次に切り戸口から地謡(じうたい)グループが登場します。地謡はシテ方の担当で、いわばコーラスの役割を担います。後見(こうけん)は舞台の後方に控え、歌舞伎の黒衣のように主役をサポートします。その後、登場人物として最初に出てくるのが「脇(わき)」――お坊さんや旅人など、現世に生きている人物を演じる役です。そして主人公シテが現れる。さらに、能と狂言を合わせて「能楽(のうがく)」と総称し、四つの役割がそれぞれの専門集団によって担われているという分業制が、能という芸術を支えています。
演目「半蔀(はじとみ)」―夕顔の面影を追って
今回のワークショップの題材となった演目が「半蔀」です。「半蔀」という名は、神社やお寺でよく見かける格子状の建具に由来します。上下に分かれた扉の、上半分だけを棒で支えて半分開けた状態、その「上半分の蔀(しとみ)」が題名の由来です。家や屋敷という空間が物語の重要なモチーフになっています。
物語――夏安居(げあんご)という90日間の修行に打ち込む僧侶のもとに、花の陰からふわりと一人の女性が現れます。白い夕顔の花を手に持つその女性は、ミステリアスな言葉を残してまた幕の奥へと消えてしまいます。後半、僧侶が京都の五条の宿でまどろんでいると、その夢の中に夕顔の亡霊が華やかな装束をまとって現れ、源氏物語の光源氏との縁を語りながら優雅に舞い、やがて幻のように消えていきます。
これは「夢幻能(むげんのう)」と呼ばれる形式です。世阿弥が生み出したこの様式では、歴史上の人物や縁のある者の亡霊が、現世に生きるワキの夢の中に現れて当時の思いを語ります。シテは能面をかけることで人間ならざる存在を表現しますが、ワキは決して面をかけません。ワキは「今ここにいる生きた人間」として物語を現実に引き留める役割を担っているからです。一方、「現在能(げんざいのう)」は物語が現在進行形で進む形式で、この場合シテも素顔(直面:ひためん)で演じます。「半蔀」は夢幻能の中でも特に優雅で静謐な曲とされており、今回の体験のテーマは「夕顔の優雅さ」を全身で表現することに置かれました。
謡(うたい)の体験―自分の声で音を探す
解説の後、いよいよ謡の体験へ。今回練習するのは、半蔀のクライマックスにあたる「キリ」の部分、「終(ツイ)の宿りは知らせ申しつ常には……明けぬ前(サキ)にと夕顔の宿りの……夢とぞなりにける」という段です。
謡の音程は「上(じょう)・中(ちゅう)・下(げ)」の三段階で表され、絶対的な音高は決まっていません。まず自分の出しやすい「中」の音を基準に設定します。「カラオケでキーを調節するのと同じです。自分が出しやすい中音を決めたら、そこを基準に上や下を探していく」。中音を高く設定しすぎると、地謡が歌う上音の部分で声が裏返ってしまうので注意が必要です。
発声の基本は、喉に力を入れず、喉をしっかり開いて腹式呼吸で行うこと。息を吸ったときにお腹が自然に膨らむ感覚を持ちながら、口からゆっくりと息を乗せて声を出していきます。激しい曲では息の量を増やしますが、「半蔀」のような優雅な演目では、お腹に溜めた息を少しずつ丁寧に出していく感覚が大切だと言います。また、音を一段上げる「浮き(うく)」という技法も登場しました。「常には」の「常(つね)」の部分で音がすーっと上がっていく、その表現を参加者は声に出しながら確かめていきました。
仕舞(しまい)の体験―能舞台に上がる

後半は、参加者全員が実際の能舞台に上がっての仕舞体験でした。まず一人一本、扇(おうぎ)を手に取ります。扇は常に右手で持ち、根元の「要(かなめ)」を小指の腹で押さえ、親指を伸ばして添えるのが正しい持ち方です。
基本の「構え」から指導が始まりました。顔は真っ直ぐ正面を向き、上向きすぎると「照る(喜ぶ)」表情に、下向きすぎると「曇る(悲しむ)」表情になるため、中立を保ちます。両腕は肘を落とさず、大きな円を描くように空間を保持し、膝を軽く曲げて重心を落とします。
歩き方は「摺り足(すりあし)」。足の裏全体を床に滑らせるように進み、一歩踏み出すごとにつま先をわずかに浮かせてから下ろします。重心が上下にぶれないように歩くことが肝要です。舞台の床は長年の稽古で磨き上げられており、実際に滑らかな感触が足裏から伝わってきます。
型の実践では、「サシコミ」「ヒラキ」「ネジル」「カケル」を順に体験しました。前方へ歩み寄りながら扇を体の中心に持ってくる「サシコミ」、そこから両腕を横にゆっくり広げながら後ろへ3歩下がる「ヒラキ」は、能における最も基本的な抽象表現です。「何かを意味するというわけではない」と志長は言いました。「ネジル」は足の裏全体を床につけたまま体の向きを変える動作、「かける」は軸足を残して外側へ足を回しながら方向転換する所作です。

「体の軸をぶらさないことが最も大切」と繰り返しました。能面をかけると視界が極端に狭くなるため、体の軸が少しでも傾くと面の表情さえも変わってしまうこと、能楽師が健康で長命な方が多いのは、この体幹を使う稽古の積み重ねによるものではないかとも話してくれました。
講師・梅若志長からご参加の皆様へ
3歳で舞台に上がり、言葉の意味も分からないままに声を出し続けてきたという志長のキャリアは、能楽の本質を体現しています。「最初は何のことか分からなくてもいい。大きな声を出して、型の順番を体に染み込ませていくことが上達の第一歩です」。口移しで覚えていく「口伝(くでん)」と反復こそが能楽を伝えてきた方法であり、今回の6回連続ワークショップもその精神で設計されています。
また、7月には半蔀の本格的な公演も予定されています。ワークショップで稽古した謡と仕舞を身につけた上でプロの舞台をご覧になると、学びの深みがまったく異なります。ぜひご一緒に観能しましょう。
1・2回目の稽古に参加されなかった方へ
第1回と同じ配布資料を共有いたしますので、こちらの2回の記事と合わせてをご覧いただき、「能舞台の構造(鏡板・橋掛り)」「四役の分業制」「謡の上中下の音程」「仕舞の構え・摺り足」の各項目をお読みいただくとともに、「半蔀」の物語のあらすじ――夕顔の亡霊と僧侶の夢の中の邂逅――を頭に入れてお越しいただけると、次回の稽古にすっと入っていただけます。ご不明な点はLINEやメールにてお気軽にご質問ください。
次回もどうぞお楽しみに。
第2回講師:梅若志長 / 第1回講師:梅若紀佳


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