2026能を知ろうワークショップ第5回レポート

装束と身体と、夕顔の消えかた

今回のワークショップでは、装束(しょうぞく)の話から始まりました。能楽の衣装は、役柄の年齢、格、作品が持つ情緒を、言葉よりも先に観客に届ける装置です。
重さと透け感——二つの装束
ひとつは唐織(からおり)。刺繍ではなく「織り」によって立体的な文様を生み出す、重量感のある豪華な衣です。赤が入る「紅入(いろいり)」は若い女性を、赤のないものは年配の女性を表します。着付けの際には「熨斗付け(のしづけ)」という手法で襟を特定の形に整え、格を表現します。
もうひとつは長絹(ちょうけん)。紗(しゃ)や絽(ろ)のような透け感のある一重(ひとえ)の衣で、袖が非常に長いのが特徴です。「夕顔」や「羽衣」のような幻想的な役柄に用いられ、袖を返す演出もできます。唐織が「格」を纏うなら、長絹は「気配」を纏う衣と言えるかもしれません。

「半蔀」のシテが着る装束は、赤一色のものよりも段ごとに色を変えた、より格を上げたものが選ばれます。装束を選ぶことは、すでに演じることの始まりなのです。
舞台に穴を開けない、ということ
能楽師には、絶対的な規律があります。「舞台に穴を開けない」こと。
本番中はアドレナリンが全身を満たします。紀佳の父、梅若紀長が道成寺の際に骨折しましたが、本番では痛みをまったく感じずに舞い切ったという話がされました。舞台上の強い緊張感は、咳も、くしゃみも、さらには鼻水さえも、身体の内側に押し込めてしまう。精神が肉体を制御するというより、精神と肉体が一体になる、という方が近いかもしれません。
一時間半に及ぶ正座と片膝立ち、装束の重みに耐えるためには下半身の筋肉が不可欠で、前日の塩分制限や入浴・マッサージによるむくみ対策も欠かせません。舞台に立つことは、その数日前から始まっています。
かつては高熱があっても出演するのが当然とされていましたが、コロナ禍以降、体調不良時の休止が許容されるようになりました。長い歴史の中でも、規範はわずかずつ、動いていきます。
方位の示す意味
稽古の後半では、「半蔀」の仕舞(しまい)を学びました。

長絹の長い袖を美しく見せるためには、手をゆっくりと動かす必要があります。素早く動かすと、袖はついてきません。あえてゆっくりと、袖が動きに遅れてついてくる「タメ」を作る。その遅れの中に、夕顔の霊の柔らかさと、この世への未練のようなものが宿っています。
舞台の隅の柱——目付柱(めつけばしら)角柱(すみばしら)とも呼ばれます——に向かって進む動きは、能楽において「悟りを開く」こと、あるいは「弔い」を象徴することが多いそうです。西の方向に向かうことは西方浄土つまり極楽に向かうこと、夕顔の霊が向かう先を思うと、その一歩一歩が、ただの舞台上の移動ではありません。「雲の扇(くものおうぎ)」と呼ばれる所作では、東に向かい、両手をゆっくりと広げ、太陽の光を受けるように、成仏へと向かう魂の晴れやかさを表現します。
終盤の「左右(さゆう)」から「打ち込み」を経て、消えていきます。夜が明ける。太陽が昇る。夕顔の霊は、夢のように消えていく。
謡の発声

謡の発声では、この演目の声を前に出しながら同時に後ろへ引くようなイメージで歌うことで、聞き手を包み込む柔らかな音が生まれると教わりました。大きな声の中にも、乱暴さではなく、温かさを同居させること。
能楽の表現は、引き算の美学に満ちています。見えない部分、遅れてくる部分、消えていく部分——そういうものの中に、感情が宿る。
次回もどうぞお楽しみに。

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